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ひとりも悪くはないもんだ。

この世に溶け込みたいと願いながらもひとり上手を極みつつあるブログ

社会復帰はヒトカラから

かつて、ニートをしている時代があった。

 
いや、厳密に言うと、働きたい意思はあるが職がない状態。
数々の採用試験に挑戦するも不採用の嵐。
 
「この社会〜俺を必要として〜〜」という自己承認欲求で心が押しつぶされそうな矢先に始めたのが一人カラオケ、通称ヒトカラ
 
社会復帰の第一歩として通い始めることになった。
 
しかしなぜ、社会復帰のためにカラオケを選んだのか。
 

 


それは、「就職先の上司を飲み会の場で楽しませるための予行演習」という動機も一理ありそうだが、自分の場合は「発声トレーニングをするため」だった。
 
ところで、声が出ないという状況に陥ったことはあるだろうか。
 
疲れて声を出すのが億劫とか、風邪で声が出しづらいってのは経験があるかもしれない。
中には精神的な理由で声が出しにくくなってしまった人もいると思う。
 
しかし自分の場合は、肉体的(身体的)なものからくる声が出ない状況だった。
 


話は変わるが、そもそも声ってのはどういう過程で出されているものなのか。

声とは、肺から送り出された空気が声帯という器官を振動させることで起こる音のことをさす。
 
当時ニートをしていた自分が置かれていた環境、それは、声帯を震わせる機会が滅多にない、という状況だった。
 
面接企業から今後をお祈りする通知を受け取るたびに、将来を悲観して夜な夜な身を震わせることはあったが、その時の自分に圧倒的に足りなかったのは声帯を震わせること、だった。身を震わせている場合ではない。
 


起床一番、PCの電源を入れ、ブックマークした転職サイトを開く。
気になる求人をチェックしては履歴書を綴る日々。
 
多種多様な企業に合わせて自分史を改訂する作業を重ねたおかげで作文力が付き、ちょっとしたシナリオライターにでもなれるんじゃないかと思いゲーム関連の求人に応募してみるも不採用。
 
この時の唯一の楽しみといえば、転職サイトの新規求人が更新される毎週火曜日と木曜日がやってくる前日の、ワクワク感を抱きながら床につくことだけだった。
 
結果として家に引きこもりがちになった生活で、身を震わせる以外に一体何を震わせればいいというのか…
 
…震わせるべきは身ではなく、声帯だったのだ。
 
ということで、この時の自分は会話の減少が発声機能を著しく低下させる事態に見舞われていた。
その症状に気づいたのは、コンビニで、店頭に並び始めた肉まんと追加の履歴書を買う時のこと。
 
「食べ物と袋をお分けしましょうか?」
 
そう尋ねてきた店員に対して
 
「ぃ…ぃっしょで、ダぃ、ジョブ、です…」
 
という、日本語に自信が無い外国人を演じるかのような日本人になってしまった。
声を出さない期間が続いたことで会話すらままならない状態に陥っていたのである。
 
加えて、言葉が滑らかに口をついて出てこない。喉元に変な突っ掛かりみたいなものを感じる…

この時とっさに頭をよぎったのが「これでは面接がますます不利に…」という危機感だった。
 
これ以上みじめな生活を先延ばしにしたくなかったため、どうにかして声帯を鍛え、声の状態を元に戻す方法はないかと考えた時に閃いたのが、ヒトカラだった。
 


収入の無い身である自分には、カラオケのコストパフォーマンスは魅力的でしかない。
平日の昼間に行けば数時間いても500円ほどで済んでしまう。だから、2日に1回ほどのペースで通院することにした。

シダックススタッフも驚くほどの常連客である。

 
今はそうでもないが、ヒトカラがあまり一般的でなかった当時は、受付スタッフに「一人です」と伝えるのはそれなりに恥ずかしい行いだった。

 

バイトの若い女の子に「この人友達いないんじゃね?」とか「人前で歌えないヘタレなんじゃね?」と思われているかもしれず、そしてその想像がおおよそ真実であることに幾度となく羞恥心をつつかれつつも、不慣れな日本語をしゃべる自分を二度と体験したくなかったので毎回清水の舞台から飛び降りることになった。
 
しかし人の慣れは凄いもので、ヒトカラ4回目あたりからは舞台が清水から脚立程度の低さには落ち着いた。 

 

 

そんなこんなで通院するうちに、声帯が回復してきたのか声の通りがだんだんとマシになってくると同時に、硝子の少年もみるみる上達。
 
「炎の空き缶蹴飛ばし」だと思っていた歌詞が「歩道の空き缶」だったことに衝撃を受けるという一人空耳アワーごっこ(そもそも炎の空き缶というワードが謎)をしたり、歌唱力が上がってきた自分をもっと知って欲しくなり、カラオケボックスのドアをさも自然にそうなってしまっていたかのように半開きにすることで意図的に音漏れを引き起こさせたりと、カラオケというステージは新しい自分を色々と発見させてくれることになった。
 


結局のところ鍛え上げられた声帯のおかげか、もしくは履歴書欄の〈趣味:ヒトカラ〉が斬新だったのか面接試験も無事通過。
 
就職先の飲み会では、上司を楽しませようとムーンライト伝説を歌いきったことでいろんな意味で伝説となってしまったりと、そんな日常を送ることに成功したのだった。
 


ということで社会復帰の練習は「声帯」から始めよう。

声が良ければ、きっと、ひとりも悪くはないもんだ。