読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ひとりも悪くはないもんだ。

この世に溶け込みたいと願いながらもひとり上手を極みつつあるブログ

「無印良品」が想像以上に私との距離を詰めていた事実について

新年幕開け前。

 

年末である12月25日が近づくほどにバタバタしてしまう行事が、日本にはある。

それは、クリスマス、、などではない。

 

 

12月の25日というのは往々にして年賀状が元日に届くかどうかの分かれ目となる日。

 

そう、この日が近づくにつれてバタバタしてしまうのは、年賀状の準備のためであって、ひとり身の人間にとってはクリスマスに向けた完璧な演出の準備のためなどではないのだ。

 

そんな年賀状をそろそろ用意しなくてはということで、無地の年賀状を買うために近くのショッピングモールへ赴いた時、出来事は起きた。

 

 

年賀状特設売り場での会話

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

「あのー、無印の年賀状が欲しいのですが」

 

「無印、の年賀状ですか?え、あ、はい?無印の年賀状はここでは取り扱っていな…あっ。無地の年賀状の事ですね?」

 

「え?は、はい、無印の年賀状を探してて…」

 

「あ、えー?無地の年賀状は…向こうのコーナーで販売しております」

 

「向こうですね、ありがとうございます…」

 

 

この手のミステイクには迅速にツッコミを入れることで定評のある自分が、「無地」と「無印」を素で間違えるという過ちを犯してしまったのだ。

 

エレベーターでいうなら、上階から1階に降りるところで途中の3階で停まり、それに気がつかないで出ようとした人に「いや、今3階だから」と、内心ほくそ笑むようなそんな自分が、である。

そんな、そんな自分が、あろうことか3階で降りる側の人間に成り下がってしまったのだ。

 

売り場店員との会話の最中ではその失態に気づいていなかった。

それも一度「無地ですか」と言ってくれていたのにもかかわらず、再び「無印」と連呼しているのだから間違いない。

 

しかしそのあと、売り場店員の反応がやけにギクシャクしていたのを不審に思い、無地の年賀状があるコーナーへと移動している時に、はた、と。

自分の失態に気がついてしまったのだった。

 

なぜこんなことになったのだろう。

 

クリスマスと恋人のシチュエーションでもそこまでならないだろう赤ら顔で年賀状特設売り場間を移動しながら、この失態の理由を考えてみた。

 

その理由は2つあった。

 

1つ目の理由、それは、単に語感が似ているから。

 

無地と無印。

 

むじ まで音が一緒なのだから、勢い余ってむじ るしッといってしまう気持ちも分からなくもない。

ただ無印の方が2文字も語数が多く、明らかに言い間違いのレベルは超えている。

 

言い間違いではないとしたら何なのか、病気なのか。

 

ここで2つ目の理由。

それは、無印良品の刷り込み現象が原因、である。

 

実は日頃、無印良品のことをMUJIと呼んでいる。

むじと打ったらMUJIが予測変換に出てくるぐらい、無印良品MUJIであることには馴染みがある。

 

そしてその馴染みに拍車をかけるかのように我が家の家具や雑貨は無印良品で溢れていた。

 

そう、「むじ」と言えば「MUJI」であり「無地」ではなく「無印良品」をさすことを、半ば無意識下に刷り込まれていたのである。

 

つまり、自分の中で「ムジ」という音は「MUJI」を指すことが原因して、とっさの判断を迫られたあの場面で、無地の意味を込めて「無印!」と声高に唱えてしまったのだった。

 

それはもう大混乱の極みである。

 

おそるべし無印良品サブリミナル効果

お前はそんなところにまで私に迫ってきておったのか…

 

そんなこんなで、クリスマス前のショッピングモールでひとり、顔を赤らめながら年賀状を買うことになったのであった。

 

 

ちなみに我が家のベッドは無印良品である。

独り身のセミダブルが身に染みる、そんな時期が今年もやってくる。

 

だから私は年賀状作りに精を出す。

そんなクリスマスでも、きっと、ひとりも悪くはないもんだ。